非モテだとか非コミュだとか面白い言葉だなぁ。

好き嫌いで言えば嫌いな部類の言葉だけれどもw

http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20051214/RIR6
と、そこで引用されてる
http://d.hatena.ne.jp/rir6/20051213/1134428417#seemore
を読んで(引用されているものとリンク辿って現在読めるのは変わっているけど)少し。

何だかキーワードは「日常」みたいで、RIR6さんは「日常」価値の否定を言い、トニオさんは「「日常」云々なんてガキの戯言よ」と言っている模様。

俺はRIR6さんの言うような感じで「日常」を云々する事もある程度理解は出来る。なぜなら、「非日常」を得る一番の近道が「コミュニケーション」にあると思うから*1

自分の予想を裏切る他者とつるむのがもっとも手っ取り早い「非日常」の獲得の仕方で。その一番の典型は、お伊勢参り等に見られる巡礼タイプの通過儀礼じゃなかろうか。

日常から旅立ち、自分の知らない他者と出会う事で、非日常を獲得し、日常に帰る。

愛する人やらコミュニケートする人よりもむしろ自身の「日常」の保持に固執すんのは非モテ非コミュだろう。何せ彼らは基本的に裏切られる事が無い(恋人ってのは裏切るもんだし、恋愛の始まりはいつも他人、友人、或いはその他による裏切りだw)。だから彼らが既存の政党、政策を支持するのは当然なんだ。社会の「日常」を最大限に享受しているんだから。

社会が与える「日常」は非日常こみの日常だ。言い換えれば「日常」には常に不確定性が含まれる。その中から日常のみを受け取ろうとするから不確定な恋愛を、コミュニケーションを拒絶する。

そんな不確定性を引き受ける度胸やら覚悟の無い人間に、「日常なんかぶっ壊せ」なんて呼びかけてもしょうがないんじゃなかろうか?と言うより、呼びかけたところで「いや、是非辞めてくれ」*2って言われるだけのような気がするのは俺だけだろうか。

*1:だからトニオさんが、「君がそんなに、日常が嫌いなら、よろしい、ぼくが君に日常を捨てさせてあげよう。」と言うのは非常に正しくて。感動的ですらあるw

*2:人権擁護法案にコピペで反対してた人ってそんなんな気がするな。