うっわ、出てきた!!

やっと出てきたかと言う感じの記事。俺にはちょっと懐かしいw

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060517k0000m010176000c.html

麻生氏は講演で「誰が首相になろうとも、政府が靖国神社に対して分祀しろなどというのは国家権力の宗教に対する介入だ」と主張。

で、

小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題について「国家の英霊を祭るという大事なことを一宗教法人に任せているところに問題があるのではないか」

ってな話。そこから記事のタイトル的な結論を導き出してるようだ。俺は首相の靖国参拝には反対であるが、靖国神社をなき物にすべしとも思っていない。同じく、今更神道の国教化も無理があると思う。だからこの記事みたいな論には賛成できないなぁ。
と言うのも、靖国にはそろそろちゃんと『伝統』の場になってもらう必要があるんじゃないかと。と言うかもう、なりつつあるよね。

『伝統』ってのは(文化人類学的には)『文化』と区別される。『文化』が現在ある集団(まぁこの場合日本人)の中に「当たり前」として根付いている物であるのに対し、『伝統』はすでに失われた『文化』をあえて現在に取り出して見せる物だ。

そう言う意味では靖国神社って、最早日本人の『文化』の中には無いものだと思うんだよな。大概、何らかの理由がない限り墓に参るでしょ。恐らく今現在靖国神社に参拝する人って「当たり前」では行ってない。「当たり前だ」と意識した時点で、その行為は当たり前の行動ではないから、何かしら思想信条があって、(例えば、日本人だったら行って「当たり前」であると特別に意識したり、或いは遺言だったり個別の事情があったりもするだろうけど)あえて参拝してるんじゃないかな。

そんな場に、今更「当たり前」性を国家権力によって作り上げるなんてことをすべきかどうか?俺はすべきでないと思う。それよりも他の『伝統的な』寺社仏閣と同じように、過去に置いてきた『伝統』としてこれからの『文化』のファクターになってくれた方が自然だし、有り難い。

そして恐らく、靖国神社への喧騒はその時になって初めて止むんじゃないかな。いや、国内的なコンセンサスって意味ではね。