禁煙話の続き〜NANAにもいちゃもん編〜

「漫画、テレビアニメ「NANA」の喫煙描写に対する抗議文と要請

漫画、テレビアニメ「NANA」の喫煙描写に対する抗議文と要請 日本禁煙学会
引用

漫画「NANA」は、下記のごとく、この世界的な潮流に逆らうような作品であるため、日本禁煙学会は、「NANA」の関係者に強く抗議します。一定の%で死亡あるいは疾病になることが知られているのにこれを煽ることは許されません.薬害AIDS問題よりも悪質な構図です.

学会と名の付く単なる圧力団体にしか見えないんだが。
そもそもNANAに出てくるバンドの方々は『パンク』を標榜していて。でその『パンク』ってのは反社会的、刹那主義的なスタイルが売りなのはご存知の通り。っていうかNANAって誰かドラッグやってるような表現もあるし、未成年男子が売春もやってるよなw

表現の規制までも「健康」の名の元にやってしまえるんだからなぁ〜。そんなに「健康」が偉いのか。と言うよりも「健康」を絶対化すると不味いんじゃないか。これは禁煙に限らないけれど。

と、考えていた所で内田樹氏のブログに凄いタイムリーな記事が。

http://blog.tatsuru.com/archives/001799.php


よく知られた事実に「健康法の唱道者は早死にする」というものがある。
食べ物や体操のようなフィジカルな営みに特化した健康法はしばしばメンタルストレスを増大させるからである。

ロゼトの事例が教えてくれるは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。
逆から言えば、「周囲からの支援と尊敬」が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・生化学的に健康な生き方をしていても、それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということである。
健康法の効果はそれがどれほどの社会的合意を獲得しているかによって左右される

禁煙であれなんであれ、健康であると言う事は必ずしも長寿とは結びつかない。交通事故に遭う事だって家から一歩出れば一定の確率でありつづける。健康なんてその程度のものとも言える。
もちろん、「そんな事は無い」と言う人がいるのは当然だ。健康に生きる事は悪い事ではない。が、それは選択可能な一つの生き方でしかない。他の選択肢を一方的に排除する権利は無いはずだ。

受動喫煙の危険性と言う事も言われる。が、その危険性というのも確かなものではないようだ。
エンストローム論文とは - はてなキーワード
逆にこのような話もあるが、しかしやはり決定的ではないようだ。
屋外における受動喫煙防止に関する日本禁煙学会の見解と提言
(思うに、屋外にいる人と言うのはたいてい同じ場所にとどまっていないのであり、たとえそこまで煙が広がったとして、それを長時間吸い続けるとは考えられない。それに、自動車の排気ガスだってある中、そう考えても喫煙だけ禁じるのはフェアではないのではないか)


確かに、喫煙が迷惑となる場面と言うのは少なくない。臭いや煙の在るものだから、嫌う人のいる嗜好品でもある。しかし、だからと言ってそれは他人に喫煙を禁ずる合理的根拠とは全くならない。「自分が嫌いだから他人が○○する事を禁じる」と言う事は民主主義国家の根底を覆すと言う事に、もう少し思いを及ばせてもいいのではないだろうか。

当分世話になる予定は無いが

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060615k0000m040084000c.html
産婦人科ってのは産科+婦人科で産婦人科らしいね。つっか一昔前まで助産婦さんとかがいて家で出産してたらしいし。で、その助産婦さんが高齢化してどんどんいなくなってるらしい。

結局さ

 日本産科婦人科学会(日産婦、武谷雄二理事長)は14日、出産を取り扱う全国の施設数、医師数に関する初の全国調査の結果を公表した。昨年12月現在で、出産を取り扱う病院・診療所は3063カ所、出産に携わる常勤医は7985人にとどまった。従来考えられていた数字を大幅に下回る結果で、日産婦は「医師の集約化などの対策を本格的に検討する必要性が浮き彫りになった」と訴えている。

「従来考えられていた数字」て。過去にきっちり調べられてたわけではないようで。産科よりも婦人科業がメインだったてのが実情なんじゃないか。特に初体験年齢が下がったりやら何やらで需要は高かったし。逆に少子化やらなんやらで産科の需要が低くなる見通しもあるし。そもそも医者がやってなかった範疇の事をコレから医者に求めるに当たって、社会制度を変えていきましょうってことかね。多分。

両極端にも思えるけど

ある意味でどちらも小説みたいな話だ。「事実は小説よりも奇なり」ってのはもう、使い古された文句だけど。

後者の事件なんか、本当に野次馬根性で物を言ってしまえば、訳がわから無すぎて言葉が出ない。殺された被害者へ、漠然と同情するしか出来ない。恐らく、事件の中ではさまざまな感情が渦巻いてるんだろう。その、行き着いた先があの結果だったって事かとは思うんだけど。なのに、記事を読んでも、ニュースを見ても、こちらから想像や感想をさしはさむ隙が見つからない。繰り返すが、訳が分からないに尽きる。

他の事件について何をか分かるのか?と言うとそう言うわけではない。ただ、想像可能な隙はあったはず。神戸の少年の事件、オウムの事件等の。それは単に俺がメディアに対してまだまだ素直だっただけかもしれないが。

前者のニュース。これは逆に想像が広がりすぎる。この公約が実際に実現されると如何な影響があるのか?また、バックボーンとなっている思想がどんな物なのか。どんな社会を望んでいるのか等等。ただ、想像してもしょうがない気が多分にするが。禁止してもやってる中学生なんか日本にも沢山いるし。笑える話のようで、微妙に笑えない。

前者は、下手をすると小児ポルノ等、子供が性の犠牲者になりうる可能性を開くニュースだ。逆に、それを防ぐための教育法なんかをセットにしているのかもしれないが、ともかく「子供の安全」と「子供の権利」に関わる。後者は、言うまでも無く「子供の安全」の問題であり、また「コミュニティ」の問題だ。近所付き合いをしてる、地域の仲間が(どんな心持ちでかは知らないけど)、我が子を殺しうる。

絶望的な話だ。もしかすると今後どんなに時間がたって、科学が進んで、セキュリティが強化されても、こんな事件は防げないんだろう。前者に関わるのもそうだ。どんなに時間がたっても、小児性愛と言う嗜好が存在する限り、そこにリスクは付きまとう。

一体どうすれば良いのか。どうしようもないと言う事を受け入れてしまうしかないのか。なんとも、後味が悪い。